玉本英子さんのお話(その2)〜シリアで経験したこと

2月3日の「玉本英子さんの話を聞く会」で玉本さんにお話ししていただいた内容をまとめました。4回に分けて掲載します。2回目は、ISが支配していたシリアのラッカで何が起きていたのか、についてです。

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今日は、「ぐねぐね道」を超えた所に住んでいる私が取材してきた二つの出来事をお伝えします。一つは、シリアでは実際にどんなことがあったのか、映像を見ながら考えていけたらな、と思います。もう一つはイラクのことです。イラクはイスラム教が90%以上ですが、少数宗教を信じている人たちもいて、特にIS(イスラム国)に徹底的に迫害された人々のことを知っていただきたいと思います。昨年のノーベル平和賞を受賞した女性、ナディア・ムラドさんの話ともつながりますが、彼女と同じ、ヤズディー教徒のことをお伝えしたいと思います。

イラクやシリアのある地域はメソポタミア文明が栄えたところで、非常に歴史のある、美しい国なんです。皆さんもご存知なように、過激派組織イスラム国が2014年ぐらいから勢力を伸ばして、この地図は一番勢力が強かった2015年5月頃です。今日お伝えするのは、ラッカという街です。ここはちょうどユーフラテス川が流れる、非常に歴史がある、古くはキリスト教徒の町でしたが、いまはイスラム教徒が暮らしています。

それでは、イスラム国とはどういう組織だったのでしょうか?この写真は、シリアのマンビジにあった宗教警察の建物です。ISは、自分たちが都合のいいように解釈したイスラム法に基づいた国作りを進めようとしました。この髪の毛を伸ばして、髭を伸ばした男性は、ラッカの宗教警察の人。1日に5回のお祈りの時に、店を開けていたりしたら、お祈りしなさいと叱ったりします。イスラム法に従わない人には刑罰を与えるが、特に見せしめのための公開処刑をおこないました。タバコは禁止されていましたが、IS支配下でもやめられない人が多かったようです。タバコを吸った人が密告されて罰を受けると、公開刑でむち打ちされました。

この写真は、ビルの屋上から突き落とされた男性に、ISの戦闘員が死ぬまで石を投げつけているところです。ビルから突き落とされた男性は一体何をしたのでしょうか?これは同性愛行為をおこなったという疑いによる公開処刑です。IS支配のもとでは同性愛行為は絶対いけない、ということはみんなわかっていました。そんな中でも、同性愛行為を理由にした公開処刑はたびたびあったようです。では、同性愛行為があったとどうやって調べたのか、ラッカでもいろんな人に聞いてみました。彼らが言うには、同性愛者かどうかはわからない。たとえば自分の親族関係でいがみ合いがあって、あいつは許されないというとき、ISに密告し、口裏を合わせて嘘の証言をして、刑罰を与えると言うケースがあったと私は聞きました。

IS支配地域では、女性は外出時にヒジャブを着るように強制されていました。ISは、肌を透けてはいけない、手の甲でも肌が透けてはダメとか、体にフィットしているものはダメとか、顔が薄く透けているのもだめとか、ヒジャブ規定を非常に細かく決めていました。

実際にISの支配下にいる人はどうだったのでしょうか?もしかしたら幸せかもしれないし、わからない訳ですね。これは、2015年当時、ラッカなどの様子を伝えるISの宣伝映像です。ISの支配下から流れてきたものは、「素晴らしい国だ」「新しい国ができて私たちは幸せです」といったこと。でも実際はどうなのか?みんな「嘘だろう」と言いますが、証拠がなかったらそれも言えない。そんな中で、シリアの市民記者を紹介してもらい、2015年2月、ラッカにいる市民記者にスカイプを通じて聞くことができました。その方によると、市民の9割はISを嫌っているが、1割の人はお金や権力が目当てでISとつながっている。他には、内部から情報を流す人はほとんどいませんでした。そのことがわかれば、本人だけでなく家族も処刑されるから。このグループはそれでも、中にいる人々のことを知らせなければならないと、命がけで知らせてきたのです。グループの一部はなんとかヨーロッパに逃れることができたが、ラッカに残ったお父さんはISに殺害されるということもありました。

ちょうど4年前に、日本人のジャーナリストの後藤さんともう一人男性の方が、ISに捕まって、最終的には処刑されると言う悲しい出来事がありました。このときは、ISは日本人に向けたメッセージの映像を出した。日本に対しても、さまざまなことをやっていたグループだったことを思い出していただければ、と思います。

シリア民主軍がISに対して、2016年11月に地上戦を始め、IS排除に向けた大規模な軍事作戦が始まりました。シリア民主軍というのは、シリア北部地域に暮らすクルド人が多く入っていて、女性で銃を持っている人もいました。その後、ISは徐々に敗走していき、2017年7月に撮影されたラッカ郊外の村が解放されたときの映像には、女性が黒いヒジャブを焼き捨てている場面が映っています。

その戦闘には、シリア民主軍のほかに、アメリカ軍などの有志連合が加わり、空爆などをおこなったのです。米軍は、巻き添えになる人が少なくなるように、ピンポイントで爆撃地点を選定して、精密爆撃していると強調していましたが、実際はどうだったのでしょうか?去年の10月にラッカを取材したときの映像をみると、市内に入ると建物が破壊されている様子がわかります。ISのシンパがまだ市内にたくさん残っていて、被害を受けた市民はなかなか取材に対して、話してくれない中で、ファトマさんという10歳の女の子が取材に応じてくれました。2017年6月に家族と自宅にいるときに米軍の爆弾が落ちて、自分の右足とお母さん、3人の姉を失った彼女は「なぜこんなことになったか、わからない」と言います。お母さんと一緒にお昼ご飯を作っていたときに爆弾が落ちたのか、気を失ったとのこと。この地区だけでも9人の方が亡くなっています。

別の家では、子どもたち4人を部屋から逃がした後、部屋に戻ってきたら夫が亡くなっていたそうです。この女性は、「自分はISは大嫌いで、ISがいなくなったのは嬉しいが、夫は空爆で死んだ」と嘆いていました。精密な爆撃が使用されたと言われていますが、現場に行ってみると実際にはそうではありません。ポイントが少しずれただけで隣の家に爆弾が落ちるし、地上で情報を伝える人が間違うこともあります。それで、非常に多くの犠牲者が出ました。何人の人が亡くなったかは正確にはわかっていませんが、最低でも1,000人と言われています。ラッカの状況は悪く、新しい行政に参加しようとする人への暗殺事件も増えている状況です。

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