【憲法カフェ能勢】玉本さんのシリア・イラク取材報告

12月15日、憲法カフェ能勢主催で、豊能町在住のフリー・ジャーナリスト、玉本英子さんの講演会が開かれました。この講演会に参加した豊能けんぽうカフェのメンバーが玉本さんの講演をまとめました。以下、紹介します。

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「平和は訪れたのか?」「イスラム国」後のイラク、シリアの人々
玉本英子さん新取材映像報告

イラク・シリアの友人には今日のことは伝えてあり、「頑張ってやるように」と言われている。私は、豊能町の西地区に住んでいる。遠く離れたイラク・シリアの人々の話だが、おなじ時代に生きる人々だ。あくまで私が取材できた一部の人々だが、ISの支配地域だった人々、そこで迫害された人々のことを中心にお話したい。

ISは、2013年ぐらいから登場した。2015年5月頃には、イラク・シリアにまたがる広大な地域を支配するようになった。「アラブの春」の際に、シリアでもデモが広まったが、アサド政権が大弾圧した。アサド政権と反政府勢力との戦闘の間隙を縫って、シリアでISが台頭した。イラクでは、モスルを中心にしてISが支配地域を広げた。モスル周辺では、スンニ派の人々がシーア派主導の政府から抑圧され、その中にISが入ってきた。

ISはイスラム法に基づいた国作りをめざした。宗教警察(ヒズバ)が街に出て、1日に5回のお祈りを強制したり、服装や髭を伸ばさない男性をチェックした。タバコは禁止されていたが、闇で出回るタバコ1本が1000円の時もあった。密告されて罰を受けると、公開刑でむち打ちされた。実際にむち打ちされた人(散髪屋で、髭を剃ったことが問われた)に取材した。公開でタバコを燃やすこともした。

公開処刑では、同性愛行為を理由に、ビルの屋上から突き落とされた男性に、ISの戦闘員が死ぬまで石を投げつける。気に入らない人がいれば、ISに密告し、口裏を合わせて証言し、罪に陥れる場合もあった。ムハンマド時代には、同性愛者を崖の上から落としたが、その代わりにビルから落とした。イスラム刑法に基づいた刑は、ISだけでなく、サウジやイランでも行なわれている。日本でも、絞首刑が行われている。ISだけが残虐な刑をしているわけではない。

IS支配地域では、女性は外出時にヒジャブを着るように強制される。肌を透けてはいけないとして、黒い手袋の着用も求められた。ラッカでは、ベールをかぶっていても、「目が透けて見える」と戦闘員から罵倒された女性もいた。外に出るのをやめた女性も多かった。2015年当時、ラッカなどの様子はISの宣伝映像を通してしか見ることができなかった。

2015年2月、ラッカにいる市民記者のグループ「ラッカは静かに虐殺されている」のイブラヒムさんに取材することができた。ラッカ市民の感情として、市民の9割はISを嫌っている。ISの外国人戦闘員と家族が、レストランで食事を楽しんでいる、市民はそれを横目で眺めているだけ。このグループのメンバーの一人がトルコに脱出後、父が公開処刑された映像が流された。密告者の存在やインターネットが高価なことなどで、外部に自分たちの状況を伝えることができない。多くの外国人戦闘員がトルコ経由で参加した。

シリア民主軍(クルド人が主導、地元のシリア人、アラブ人も参加)がISに対して軍事行動を開始して、2017年10月にラッカは解放された。女性が黒いヒジャブを焼き捨てている場面もあった。

解放から一年経ったラッカの様子だが、この時計台の前では、公開処刑が頻繁に行われていた。ナイム広場の柵に、処刑した人の頭部を突き刺した映像をISが公開した。処刑を見た人に聞くと、処刑された人の体を見せしめにしていた。

有志連合は、精密爆撃の正確さをアピールしているが、実際に取材してみると、ある女の子は右足と母、3人の姉を空爆で失った。彼女は「なぜこんなことになったか、わからない」と言う。お昼のお祈りの時間だったので、ISは病院に運ぶことを認めなかった。父が全財産をはたいて、郊外の病院にいったが、右足を失った。現在は、父、弟の3人で生活していて、周りの人々の援助で何とか生き延びている。

夫を失った女性は、「ISがいなくなったのは嬉しいが、夫は空爆で死んだ」と嘆いた。何人がラッカで死んだか、分からない状況。外国からの支援が入りにくい状況の下、弟の実家に戻って何とか生きている。

多くの建物が壊れているのは、空爆だけではない。ISが逃げる際に、民主軍が狙撃に使えないようにと建物の上部を破壊していった例もある。しかし、空爆のやり方を見てみると、ISをとにかく潰すために、少しくらい市民が死んでも仕方ない、と考えていたのではないか。

学校は何とか再開されているが、壊れた建物に机・椅子を持ち込んで、教科書は昔のものを使ったりしている。

取材する際に困難だったのは、「顔を撮影しないでくれ」という人が多かったことだ。なぜなら、ISに憎しみを持っているが、まだISのシンパが潜伏していて、暗殺事件を起こしている(顔面を狙って撃っている)こともあり、ISをまだ恐れている。ISの影に脅えている。

ISの戦闘員はどうなっているのか?シリアの南東部では、ISの外国人戦闘員らが中心となって戦闘を続けている。ラッカ出身の自由シリア軍の若者に聞くと、中学時代の同級生の多くはISの戦闘員になった。金を持っている人は逃げられるが、金のない人々は仕事を失ってしまった。ISが給料と引き換えに戦闘員をリクルートしたので、同級生はISに入った。外国人戦闘員も取材したが、そんなに私たちと変わらない人たちだった。

シンジャルに暮らしていたヤズディ教徒の話をしたい。シンジャルには、尖塔を持つ聖塔が居住地区にある。ヤズディ教徒は白いガーゼを好んで着ている。ヤズディ教徒が信じるクジャク天使をISや一部のイスラムは「悪魔」であると攻撃する。IS以前にも、2007年、他のイスラム武装部隊がヤズディ教徒の地区入口に爆弾を積んだトラックを爆発させ、400人が死んだ事件もあった。ヤズディ教徒は聖書のような書物を持たない。親からの口伝えで宗教を伝えてきた。親がヤズディ教徒でなければ、ヤズディ教徒になれない。他の人々にとってわかりにくいため、イラク国内でも蔑まれる存在ではあった。

ヤズディ教徒の友人から「助けてくれ」という連絡が来た。クルド居住区に逃げようとしたが、ISが先回りして封鎖し、岩山に数万人が逃げた。ISが山を包囲した。水を汲むのにペットボトルしかなかった。ペットボトルのふた2杯が1日分の水。1週間後にイラク軍や米軍が落とした充電器で携帯を充電し、連絡してきた。

多くのヤズディ教徒がISに捕まった。ヤズディ教徒の村をISは計画的に襲撃した。一箇所に集めて、男と女に分けた。男にはイスラムへの改宗を求めた。できないと言うと、悪魔崇拝だとして銃殺された。残りの男性、女性、年寄り、子どもはIS支配地域に連れて行かれて、女性は奴隷にされた。イスラムでは妻以外の女性とセックスすることは禁止されているため、レイプする際に強制結婚させる。女性奴隷の取り扱いについて、詳しい規定を定めた。奴隷市場でヤズディ教徒の女性を売買していた。

逃げてきた女性を取材した。テントが足りず、建築途中の建物に住み、ブルーシートで覆って生活している。当時妊娠中で、8ヶ月の子どもがいた19歳の女性は、夫は銃殺され、結婚しないと殺すと言われ、強制結婚させられた。1週間後に逃げ出し、ある男性に助けられ、クルド自治区に逃げ出した。産まれた子どもにデルブリン「壊れた心」というクルド語のなまえをつけた。忘れ去られないように、こんな名前を付けたとのこと。彼女はその後ドイツに行った。義母、2人の子どもと一緒に生活し、ドイツ語を勉強中。周りの人々は全員ドイツ人で、勉強を助けてくれている。一月に政府から1300ユーロが支給される。家は無料。義母はイラクに帰りたがっている。ドイツに遊びにいくのは楽しいが、一生住んで、働いていくのは大変。義母は一度イラクに帰った。本当はイラクに住み続けていたかったが、息子たちの苦労を見て、ドイツに戻ってきた。自分の故郷に住めないから、難民になっている現実がある。女性はISに捕まっていたとき、レイプされた、それを、「一日に何回も殺された」と話す。ドイツでも、フラッシュバックが起きる。トラウマがある。ISから追いかけられる夢を見る。

モスルで、彼女を助けた家族に取材した。彼らの家の両隣はIS幹部の家だったため、すぐに家に入れて、2階の隠し部屋にかくまった。息子にニセの身分証明書を作らせ、イスラムの服装を着せて、タクシーに乗せて、クルド自治区の検問所まで連れて行った。同じ状況で、私たちにこんなことができるだろうか?見つかれば公開処刑されるかもしれない。「人間だから」「助けてくれと言ってきた人をほおっておけないから助けた」と言っていた。彼女は大変感謝していて、今でも彼ら家族に送金して、生活を助け、家族付き合いをしている。

ヤズディ教徒はクルド語を話す。オスマントルコ時代にトルコから逃げ出した人々が多い。位置的にシリア・トルコに近いクルド語である。教育を受ける機会が少ない。肉体労働をする人が多い。イラク社会では底辺に位置する。虐殺事件があった際、クルドの民兵が逃げてしまったので、クルドへの恨みを持つ人もいる。宗教的な違いで、コミュニティーが違ってくる。宗教が違うと、結婚することもほとんどない。

ナディ・ムラドさんがノーベル平和賞を受賞した。彼女の故郷であるコジョ村に行った。かつて1600人住んでいたが、今は無人になっている。2014年8月15日にISが襲撃してきた。改宗を認めなかった男性は町外れに連れていかれ、銃殺された。彼女の6人の兄も殺された。母も殺された。ナディアさんの家を訪問したが、家財はすべてなくなっていた。家財を奪ったのはISだけでなく、コジョ村近くのイスラム教徒の部族がISに協力し、彼らも家財を奪った。虐殺現場は遺体に土をかぶせただけ。何人が殺されたかも分かっていないが、7〜900人が殺されたのではないかと地元の人たちは言う。

近隣のイスラム教徒が信用できない、男性の多くが殺されたので村では生活できない、村の近くに虐殺現場がある、という理由で、誰も帰ってきていない。多くがドイツなどに難民として逃れた。残りはクルド自治区で避難生活。国際社会からの支援が以前の半分になったと人びとは言う。しかし、働ける場もなく、生活が苦しい。シンジャル市内には、まだ戻っている人がいるが、建物は破壊されたまま放置されている。警備兵として働く人もいる。取材すると、「ナディアさんが賞をもらって良かったけれども、自分たちの生活は何も変わっていない」と答える。ISに拉致された女性の中には心を病んだ人々も多い。避難民キャンプにも精神科のクリニックはあるが、そこに通うのが困難なため、途中で止めてしまう。自殺願望、うつ病、PTSDなどで苦しめられている。普通の生活が出来るようにするにはどうするのか、が課題。現在、カナダやオーストラリアへの移住を希望する人も多い。

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